今回は前回の続き、“で、結局バイリンガル教育はいいのか悪いのか” の後編です。
人というのは、規格以上のパフォーマンスが出来ない機械と違って、どんどんパフォーマンスを伸ばすことができます。ですから、子供のパフォーマンスが伸びることを信じてバイリンガル教育に挑戦するべきだと思います。例えるなら、どんどん大きくなるカバンのようなものです。普通のカバンだと余分なものを入れると肝心なものが入らなくなってしまいますが、人というカバンは頑張ればカバン自体が大きくなるので、欲しいものをすべて入れることができます。
バイリンガル教育をさせる環境は、子供が小さいうちは親が子供に与えてあげるもので、子供自身が選べるものではありません。うまくいけば子供にとってすばらしいギフトになります。うまくいかなければ子供に恨まれるかもしれませんが。。。
オリンピック級の選手に似ているところがあるかもしれません。オリンピックに出られるぐらいの選手になるには、子供のうちからそのスポーツを始める必要があります。子供にとっては無理やり練習をさせられてつらいこともあるでしょう。しかし、子供の時からその環境を与えられたからこそ、オリンピックに出られるわけです。オリンピックに出られれば、子供は親に感謝するでしょうし、そこまでいかなければ、きっと親に無理やり練習させられたことを恨むでしょう。ただ、言語はスポーツと違って、けがも引退もありません。
また、スポーツと違ってバイリンガル教育の良い所は、海外で生活しているなら、必要に迫られて自然に身につくことです。スポーツをどうしてもしなければいけないということはないですが、海外に住んでいる環境ですと、外へ出れば現地の言葉を使わなければいけないし、家にいれば日本語を使わなければいけないから必要に迫られます。
ただ、子供が成長するにしたがって、親と会話をする機会が減ってくるので、日本語を使う機会も減ってきます。特に兄弟姉妹がいると、兄弟姉妹どうしで英語を話し始めると途端に日本語力が落ちてしまうそうです。
それで、親がいかに子供の日本語能力を伸ばすようにモチベーションと環境を与えることができるかにかかっていると思います。
ただし、今は英語を話せるのは当たり前になってきて、英語と日本語を話せるだけではそれほどアドバンテージにならないようです。ひと昔前は、英語と日本語を話せるだけで仕事になったのですが、今は英語を使って何ができるかが求められています。求められる英語のレベルも上がってきています。いっそのこと他のマイナーな言葉を習得して、より専門性を持たせるか、3カ国以上話せるようにしないと仕事には役にたたないかもしれません。
とにかくどの言語も使い物にならない、セミリンガルになってしまうことを避けなければいけません。