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第6回 材料へのこだわり:日本からの食材

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St. Pierres 兄弟 @ 銀閣寺

和食の師

「良質な商品を手頃な価格で提供する」というコンセプトで始めた私たちのビジネスですが、商品の品質に対するこの意識は、今も全く変わっていません。ニューマーケット店を皮切りに少しずつSt.Pierre’sのスシの人気が出はじめ、スシを販売する店舗が2店舗、3店舗と増え始めた時、まず初めに私たち兄弟が考えたことは「スシについてきちんと学ばなくてはならない。そのために日本へ行こう。」ということでした。次に良質な商品を安定して供給してもらえる取引先の開発が急務となりました。

当時は、まだインターネットが普及していない時代でしたが、なんとか私は日本食材の輸出商社を探すことが出来ました。1994年6月、東京のホテルで2つの会社と商談を持つことになりました。ドキドキしながら待ち合わせ場所であるホテルのロビーで彼らを待っていたのですが、1社目はアポイントメントの時間になっても現れませんでした。次のアポイントメントを予定していた会社は、「東京共同貿易株式会社」という、日本の食材を主にアメリカに向けて輸出している商社でした。「またすっぽかされるのだろうか」と考えていたところ、彼らは約束の時間通りきちんとホテルに来てくれました。日本の慣習にならって、まずは名刺交換から商談を始めました。今から考えると日本語と英語の混じった非常に初歩的な商談でしたが、彼らはその場で、海苔、ガリ、粉わさびなど様々なサンプルを味見させてくれ、私がニュージーランドそれらを持ち帰れるように沢山のサンプルを提供してくれました。

この商談で弊社を担当してくれた高儀さんは、この東京共同貿易株式会社の中で英語が一番よく話せる人でした。高儀さんはアメリカへの留学経験があり、日本食材や日本酒をロサンゼルスやニューヨークなどアメリカに向けて輸出する担当をされていました。私と高儀さんはとても気が合い、その後20年以上にわたり、良いお付き合いをさせて頂いていました。残念なことに高儀さんは最近退職をされてしまいましたが、彼の在籍期間中、私たちは日本文化や日本食について、彼から色々なことを学びました。高儀さんは日本食と日本酒に関する見識が非常に深く、常に最新のトレンドを把握しており、日本の食品業界からも一目おかれている存在でした。また、スタッフの育成にも熱心であり、今のチームにもその精神は引き継がれていると感じます。彼は、私たちSt.Pierre’sにとっての「和食の師」でした。高儀さんの存在なくしては、現在のSt.Pierre’sはなかったと思います。

06-02

有り難い間違い

私たちにとって、日本から食材を輸入しはじめることは、ある意味リスクの高い賭けでした。当時、私たちのスシビジネスのボリュームはまだ非常に小さく、「大量の食品を輸入しても、本当に賞味期限内に使い切ることができるのかどうか?」と、とても不安に感じていたことを覚えています。そんな私たちに高儀さんは、コンテナを丸々一個使うのではなく、コンテナの半分だけのスペースを借りて輸入し始めることを勧めてくれました。最初の頃はこのコンテナ半分のスペースだけでも、私たちには大きすぎる程でした。

いよいよコンテナの第一便がニュージーランドの港に到着しました。直後に悪いニュースが飛び込んできました。輸入したガリの状態が良くないと言うのです。コンテナに入っていたガリは、私が日本で見た鮮やかなピンク色ではなく、もっと白に近いピンク色だったのです。私はすぐ高儀さんに連絡をいれました。高儀さんは「すみません、商品を間違えて出荷しました。」と言ったあと、「実は今回出荷した商品は、着色料を使用していなガリなのです。」と言ったのです。私たちは、鮮やかな色のガリしか目にしたことがなく、ガリとは「そういう物」だと信じ込んでいたのですが、着色料などの添加物はないに越したことはありません。この一件以来、St.Pierre’sでは、常にこの「白っぽい」ガリにこだわり続けています。私たちSt. Pierre’sは、着色剤で色付けされた鮮やかな食材よりも、自然の素材に近い食材の方が、ニュージーランドのお客様にも喜ばれると信じています。

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Nick Katsoulis
St. Pierre’s International Ltd.共同オーナー兼経営者。
1984年から兄弟と共にビジネスを始める。
ビジネスで道を極めることを目指し楽しむ。
 
https://facebook.com/StPierresSushi/
stpierres.co.nz