ニュージーランドと日本の歴史を比較してみていきます。
自宅待機の中、みなさんいかがお過ごしでしょうか?
私はこの機会に、日本の歴史について改めて大筋の流れを見ていくことにしました。今まであまり興味がなく、日本国内旅行の際などに「もっと歴史について詳しかったら、見どころや感慨もひとしおなんだろうなあ」とずっと思っていたものです。そんな十数年来の想いをやっと果たしたので、ニュージーランド内を旅行して見かける記念碑など、ニュージーランドの歴史を知っていればさらに面白いこと間違いないと。
そんなわけで、ニュージーランドの歴史をたどっていき、自宅待機解除のあとに、実際に訪れる日を楽しみに待とうではありませんか。
マオリ上陸
もともと無人島だったニュージーランドに、初めて到来したのはマオリで、その年代は700年とも1200年とも言われています。
700年といえば日本は奈良時代です。奈良に都が移され、平城京が作られました。また国を守る、苦しみから救われるとして仏教の信仰が広まり、東大寺に大仏が作られたのもこの時期です。
藤原氏などの貴族たちは権力を求めて、天皇との結婚や後継者をめぐってたえず争っていました。
1100~1200年の日本は、平安時代から鎌倉時代へと移行していくときです。源氏が藤原氏について力をつけ、平氏を打ち破ります。平安時代は天皇が力を持ち平和な時代が続きましたが、天皇と近しくなり権力をふるっていた平氏に反感を持つ者が次第に増え、全国の武士が立ち上がり新たな時代の幕開けとなります。
イギリス人上陸
1769年10月イギリスの探検家ジェームズ・クックがギズボーン沖から上陸したのが、初めてのことです。
交易・捕鯨・宣教を目的に、イギリスやフランス、アメリカからの船が来るようになりました。
日本は江戸時代中期、10代将軍徳川家治が倹約令を出していましたが、自然災害や大火事・疫病などにより各地で農民の一揆が発生していました。
この頃は鎖国していましたがオランダとの貿易があり、西洋医学などの学問・文化に衝撃を受けた学者たちが新しい知識や考えを吸収していきました。
イギリス領
1835年ニュージーランド北部にニュージーランド部族連合国が誕生。
マオリ間の紛争にイギリス人が介入し、法と秩序をもたらそうとしました。このころマオリは紛争のための銃をイギリスから自らの土地と交換で手にしていきました。
1840年ワイタンギ条約が締結されニュージーランド全土がイギリス領となりました。ニュージーランドを外国勢からイギリスが守るためとされていました。
日本は江戸時代後期、またしても飢饉が広まり、倹約を命じる天保の改革が始まりました。江戸では贅沢な着物や食事が禁止されました。清とイギリスのアヘン戦争で清が大敗し、次は我が身と外国からの脅威が大きい時代でもありました。
経済とマオリ戦争
1852年ニュージーランドは自治が認められ、1856年には内閣が組閣されました。日本より約33年早いです。
1850年代はゴールドラッシュに沸きましたが、金が枯渇し失業者が増加、経済不況に陥りました。1860~70年代は公共事業(鉄道・電信などのインフラ)によって立て直しをはかりました。
1859~1872年マオリ戦争 1881年和平交渉
ヨーロッパへの隷属を危惧し、土地不買運動から戦争が勃発します。タラナキ、ワイカトへと戦地は移り、当初戦いを有利に進めていたマオリは、祖先の土地の自営が目的であったが、政府軍から反乱民とされ、土地を没収される結果に終わりました。
日本はペリー来航と倒幕の機運が高まっている時代です。
オークランドにある戦争記念博物館やロトルアの戦争記念公園、ウェリントンのマティウ・サムス島などで、当時のニュージーランドに思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
参考文献
- 少年少女の日本の歴史
- https://kids-km3.shogakukan.co.jp/
- ウィキペディア
- https://ja.wikipedia.org/wiki/ニュージーランドの歴史