一年間だけいるつもりが、気がついたら今年でもう四年、ニュージーランドで生活しています。
辛いことももちろんあったけれど、何より実りのある四年間で、きたときの私と今ではきっといろんなことが変わっていると思います。
生活の中の小さな豊かさ
多国籍文化のニュージーランドにきてから、いろいろな国の人に会い、ニュージーランドや日本はどれだけ恵まれているのか、また自分の家族や自分自身はどれだけ恵まれているのか、心から実感することができました。
世界で今起きていることも、自分の友達の出身地となると、目を背けることができなかったりします。
自分がいま、自分で生活できていること、おいしいご飯が食べれること、大切な存在がいること、自己主張ができること、そんな小さなことでも、一つ一つが私を作る基礎となっていて、自由に「自分」でいれることがどれだけ恵まれているか、私は今まできちんと理解していませんでした。
また、ニュージーランドは日本に比べ人口も少なく、物や交通機関の便利さに欠けるように感じます。
特に田舎に住んでいた私は、周りに娯楽やレストランが少なかったです。
いろいろなものを削ぎ落とすと、そこに見えてきたのは静かさの中にある豊かさでした。
日本にいたときは、なんでも手に入り便利でしたが、もので溢れ、情報で溢れ、自分が何を求めているのか、何に幸せを感じるのかわからないでいました。
大自然の中で見る朝焼け、1杯のコーヒーを飲む瞬間、季節が変わり頬にあたる風の暖かさ、頭の上を通りすぎる流れ星、友達とのたわいもない時間。
何もないニュージーランドだからこそ、小さな一つ一つの瞬間が、とてもとても愛おしく、深く、感じるようになったのだと思います。
食べ物や命への感謝
これはニュージーランドというより、牧場で働いた私の経験からきているのですが、ニュージーランド生活の中でどうしても忘れたくないことです。
私は三年間ローカルの牧場で働き、何千もの牛や子牛を世話してきました。
特に出産シーズンには毎日のように、生まれる瞬間、そして死んでいく瞬間を見ます。
時には自分自身が、その生死の天秤をかけなければいけない時もありました。必死に生きようとする子、命を諦める子、諦めなければいけない子。命というものは美しく、そして儚いです。
私たちはワーカーは命や「システム」に逆らうことはできないけれど、彼らがなるべく幸せに生きていけるように、理不尽な死に方をしないために、必死に働きます。
そして出来上がっているのが、スーパーマーケットで見る、パックに入ったお肉や、一本4ドルで売られている牛乳です。
私は自分が食べているものが、どこからきているのか、どんな生活を送っているのか、そういったプロセスを知ることがとても大切だと思います。
牧場で働いた後は、なるべく食品ロスをしないことを心がけたり、地元ののマーケットで買い直接生産者と繋がれることを意識しています。
自分達はただの製品ではなく他の「命」を食べているということを認識するだけで、命の大切さを日々感じることができるんだと思います。
今は田舎の牧場をやめ、ニュージーランドの魅力をさらに知るために、キャンピングカーで旅をしています。
自分が美しいと感じるものに、さらに目をむけ、そして得るだけではなく、少しづつ自然や人に恩返しができていけたらなと思います。
いずれは、もっと自分が食べる食べ物や、自然と近い暮らしができたらいいな。と考えています。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
田舎の大牧場で日本人一人、たくさんの牛と働いていた、ただの牛好きです。
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