今回は、前回の“海外で生まれ育った日本人はどうなるの?”のパート3です。
これは、自分の観察による妻のケーススタディーですので、 もちろんすべての海外で生まれ育った日本人に当てはまるわけではありません。
相手が戸惑う
両親日本人なので、顔は日本人の顔、日本語の発音もネイティブの発音です。それで日本人の誰もが“日本人”として相手をします。
しかし時々外国人っぽい態度をしてしまったり、日本の習慣にうとかったりすると、相手が“え???”となったりするようです。極端な時は、ちょっとおかしな人と思われたりするようです。まあ、帰国子女にありがちな問題でしょうか。
発音がきれいだと一目置かれる
日本人は英語がそれほど得意でない人種だと思われているようなので、顔が日本人で、英語をネイティブ並みに話すと、相手が一目置くようです。おそらくそのギャップに驚くのでしょう。
とりわけ発音がきれいだと、相手により信用してもらえるような気がします。確かに、日本の外国人タレントで、話しの内容はどちらも同じぐらいなのに、日本語の発音がきれいなタレントのコメントはより信頼性があるように感じますよね。
いじめの対象になる
彼女は日本で外資系の会社に勤めたことがあるのですが、英語がダントツにうまいので、重宝されていたようです。しかし、外資系に勤める日本人はある程度英語に自信がある人が多いので、同僚たちに妬まれていたようです。具体的には日本の文化の知らないところを重箱の端をつつくように指摘されていたようです。
ドライな人と思われる
これも彼女が日本で働いていた時のことですが、ドライな人と思われていたようです。日本人はよく仕事が終わった後、飲みに行くことになりますが、なかなか断ることができませんよね。さすがに彼女でもおもむろに誘いを断ることはしなかったようですが、仕事の後はわがままというほどではないですが、わりと自分自身を出していたようです。ようするに、仕事とプライベートをきっぱり分けていたということです。それが同僚にはドライな人と取られていたようです。
自分ファースト
何をするにも、まず自分のことを先に考える傾向があるようです。例えば、遅刻しそうになっても朝食を食べたり、歯磨きは必ずするとか、雨が降っていたら止むまで待って、びしょ濡れになってまで時間を厳守しないとかです。これは、彼女自身の性格というより、ニュージーランドの文化から来ていると思います。ただ、日本人のなかで、このようなことがあると、わがままな人だと思われてしまうようです。
僕も長くニュージーランドに住んでいるので、だんだん彼女のそのような行動に慣れてきたし、自分がしっかり準備できていなければ、いいパフォーマンスが出来ないという考え方で、このニュージーランドの文化も悪くないと思います。逆に仕事優先の日本人的考え方が律儀過ぎて窮屈に感じることがあります。
確かに彼女を見ていると、いつも楽しそうに物事をしています。自分を殺してでも嫌なことを無理にする多くの日本人を見ていると時々痛々しく感じることがあります。
まだまだありますが、ざっと気が付いた点を取り上げてみました。もちろん上記のことは、自分の観察による妻のケーススタディーですので、すべてのバイリンガルの人に当てはまるわけではありません。
結局彼女は“なに人”かというと、日本人でもニュージーランド人でもなく、バイリンガルという独特の部類の人種のような気がします。そのような人種が、自分を無理やり日本人か、ニュージーランド人かに当てはめようとすると、アイデンティティークライシスに悩むことになるのでしょうね。
このバイリンガルという人種は、珍しくなくなってきました。同じ“人種”と交わる機会が増えてきたでしょうし、回りの人もこのような“人種”を受け入れるようになってきたので、彼らにとっては、楽になってきたと思います。