津軽の情景を感じられる音色を大切にしつつ、未知なる可能性に挑戦 — 終わりのない探究心が、日本の伝統楽器を世界へ広めます。
撥(ばち)を叩きつけるように弾く独特の奏法を持つ津軽三味線。長い歴史のなかで、伴奏の役割を果たしてきた三味線は独奏楽器へと進化し、さらに津軽三味線は、さまざまな楽器とのコラボレーションを成し遂げるなど、今、未知なる可能性に向けて広がりを見せています。その第一人者である山口ひろしさんが、この4月、オークランドで開催されたJapan Day 2016において、初のニュージーランド公演を果たしました。公演を終えられて感じられたこと、そして山口さんと津軽三味線との過去・現在・未来についてお話を伺いました。
津軽三味線との出会い
父が山口流津軽三味線の家元で先生をしていましたので、4歳の時に、唄から始まり、太鼓と三味線を習い始めました。住まいの下に稽古場があり、毎日のようにお弟子さんたちが稽古をし、それを耳にするという生活が普通で、特に抵抗はありませんでした。最初は唄を本格的に仕込まれました。津軽三味線は今でこそソロ楽器として一人歩きをしていますが、本来唄の伴奏楽器で、唄付が基本です。入り口が唄だったのは、津軽民謡という唄が自分の中に入っていれば、どのような唄い方をされても合わせられるという最初の師匠である父の考えによるものです。今でもテープに残っていますが、4歳の初舞台では『津軽じょんから節』を唄いました。
子どもの頃の津軽三味線の記憶で、今でも鮮明に覚えているのが、父が「津軽あいや節」という曲を他の人とふたりで三味線を弾き合うバトルをした時のこと。その時の父の演奏は、子どもの目から見ても圧勝で、カッコよかったんですね、忘れられないです。自分もそんな演奏家になりたい、そうなるんだと思いました。
師匠であり父親であるという立場は、やりづらいものがあったと思います。他の生徒さんがいない時に、結構スパルタで稽古をつけられました。間もなく、父のお弟子さんの元に預けられました。最初から二代目としての教育を受けましたから、お稽古はとにかく厳しかった。きつい言葉やものが飛んできましたし、例えば、最初の‘どどん’という音一つでも、「もう一回」「もう一回」と納得する音が出るまで30分も40分も‘どどん’だけの稽古を続けました。お稽古が終わっても、寝る暇なく練習をしましたね。中学からは、青森県黒石市にいらっしゃる千葉勝弘先生に師事し、寝食を共にしながら練習に励み、勉強し、毎日のように舞台に出る環境におかれました。
津軽三味線を続けてこられたのは、“好き”だから
小さい頃から舞台が好きでした。自分の音色を聴いていただく、感動していただく、子どもの頃からすでにそんなことに喜びを感じていました。緞帳が開くと何千人という方がいて、津軽三味線の強い大きな音ではなく弱い小さい音を出した時の、会場がシーンと静まり返って皆さんが集中して耳を傾けて下さっている、その感じがものすごく気持ちよかったです。辞めたいと思ったことは一度もないです。父は「嫌だったらいつでも辞めていい」という感じだったので、それがむしろよかったのかもしれません。今から思うと父の続けさせるためのうまい方法だったのかな。
“ご縁”に感謝
中学生から舞台で仕事をしてきた山口さん。二代目を背負い津軽三味線に集中できたのも「周りの人のおかげだ」と言います。その頃から人への“感謝”の気持ちの大切さに気づき始めたそうです。
今から思うと、三味線に集中できたのは周りの人の理解と協力があってですね。中学から舞台に上がっていましたから、平日学校がある時も地方に行って演奏をすることがありました。学校の勉強よりも練習を優先しなければならないこともありました。学校の先生始め、たくさんの人のおかげで、三味線に励むことができたと思います。周りの環境にとても感謝しています。
なにかひとつのことをやり続けていく上で一番大事なことは、“感謝”の気持ちを持つことです。周りの環境に、出合いに、“ありがたい”と思う気持ちです。上辺ではなく、あらゆるもの・人に“情”を持って接する、それを続けていけば、三味線に限らず、どの世界でもやり通していけると思います。
今改めて、いろんな方と出会えるのが嬉しいと感じています。公演もそうですが、現在4歳から97歳まで80人程のお弟子さんがいますが、人生の先輩とのお稽古でも子どもたちとのお稽古でも、自分自身の勉強になることがたくさんあります。普通の人よりも出合いに恵まれ、皆さんに愛されている幸せを感じ、そうした “ご縁”に感謝しています。
ニュージーランドでの初公演
初のニュージーランド公演。Japan Dayでは午前中に「津軽三下り」「津軽じょんから節(旧節)」「津軽あいや節」の3曲、午後は「津軽よされ節」「土佐の砂山」「ニュージーランド国歌」「津軽じょんから節」を、国籍さまざまな大勢のギャラリーを前に演奏しました。
リハーサル時点で確認できなかった音響が心配でしたが、にぎわっている中でも、皆さん真剣に聴いていただけて、気持よく演奏できました。三味線は大きなホールで演奏するように作られている構造ではないため、ホールなど会場でのコンサートはマイクを使うことが一般的です。ですからマイクを含めた音響確認はとても大切。ヨーロッパなどオーケストラの文化が盛んなところではマイクは使いません。その分ホールの作りが素晴らしくて、満員でも小さい音が響くようになっています。ほんとはマイクを通さず、生の音をお楽しみいただきたいという気持がありますが、日本でもなかなかそうはいきませんね。そして音響に限らず、会場により環境はさまざま。自分の演奏ができるように目をつぶっていることがあります。特に三味線は調弦が狂いやすい楽器、音の様子に集中したいですし、いろんなものが目に入ってリズムが狂ったり、邪念が入らないようにしています。
各国でのワークショップに思うこと
公演のほか、各国でワークショップを行っている山口さん。ニュージーランド滞在中にも、カレッジの生徒たちを対象としたワークショップを5ヶ所で行ないました。馴染みのない日本古来の三味線の音色、その歴史を伝え、知ってもらう活動を通して感じたことは、国による文化の違いです。
日本の中学生くらいの子供たち、1ヶ所30人〜150人を対象に行った今回のワークショップはとても楽しいものでした。日本に興味があって、日本語を少なからず勉強している子どもたちで、日本語がわかることに驚きました。これはやる方としても嬉しく、とても親近感が持てましたが、やはり三味線という楽器を知っている子どもはほとんどいませんでした。ワークショップでは、津軽三味線の代表曲を3曲ほど演奏し、津軽とは日本のどの地方にあるのか、また三味線の歴史やその広がりについて解説をし、その後実際に三味線を持って、音を出してみるということをしました。みんなリラックスしていて、楽しんでもらえているなと感じました。あっという間の1時間で、ニュージーランドの子どもたちと三味線を通じて直接やりとりできる、とても楽しく貴重な時間となりました。
ワークショップは海外でいくつか行なってきましたが、その国や対象の年齢層、あるいは与えられた時間により都度変わってきます。気をつけることのひとつが、三味線の材料についての説明です。ご存知の通り、三味線は動物の皮を使います。質問が出れば、嘘をつくことはできません。きちんと回答をしながら、こんなお話をしています。「三味線の演奏者である私たちがまず最初に教えられたのが、命の大切さです。三味線は動物の皮を、撥(ばち)はべっ甲や象牙を使うので、いろいろな命を背負って、私たちは舞台に上がらせていただいています、その心の持ち様を最初に習います。」と。国により、こうしたことについての考え方は様々ですが、このようにお話すると比較的理解していただけます。
海外公演は結構な期間を取られるので、特に積極的にというわけでもないのですが、それこそ“ご縁”なのか、オファーをいただくチャンスが多々あります。お断りせざる得ない時もありますが、スケジュールが合ったり、随分前からお話をいただいたりした時は、まだまだ三味線は知られていない楽器、それを広めるためにも海外でも活動をしています。そうすると国による文化の違いを色々と感じますね。オーストリアやドイツなどヨーロッパのクラシック文化が浸透している国では、観客は最初から最後の音まで、誰も一切音を立てない。反対に演奏中に携帯が鳴ったり、時には話しはじめることがあるところもあります。もちろん集中して聴いていただく方がやりやすくはありますが、その国の文化によるもの、自分がそれに合わせなければいけないと思っています。
津軽三味線の未知なる可能性に楽しみながら挑戦
2011年にリリースしたソロアルバム『黒丸』では、独創的な感性で、これまでにない多彩な音楽世界を繰り広げています。アルバムのコピーは“津軽三味線は雑食だ”。意図するところは、‘津軽三味線はいろんな音楽に溶け込んでいける’ということでした。
『黒丸』は洋楽ミュージシャンからの提案で製作されました。津軽三味線の特徴のひとつに、“即興演奏”というのがあります。それが西洋のジャズ文化につながっています。和太鼓などの和楽器やオーケストラとセッションすることもあります。クラシック音楽を三味線でアレンジしてみたり、いろんな音楽に対応できるのが津軽三味線の魅力のひとつ。自分にはそうしたセッションがとても楽しい経験になっています。
忘れてはいけない本来の津軽三味線の音色
新たな可能性を感じさせる津軽三味線。しかし山口さんの求める津軽三味線の音色は“津軽の情景”を感じるものであること---、演奏者が忘れてはいけない大切なことと語ります。
津軽三味線は、演奏するその方その方によるオリジナリティがあって、タイプが変わってくるものです。いろいろな場所で全国大会が行われますが、自分のお弟子さん含め見ていると、大会ゆえに技術に走ってしまうところがあります。私が求めている津軽三味線の音色は、津軽の雪の匂いであったり吹雪であったり、そうした景色をイメージできるものです。津軽の情景、津軽の匂いのする津軽三味線を演奏していきたいと思います。
年齢を経て、求める音楽、音色は変わってきます。「自分の舞台に絶対納得をするな。納得する舞台をしたら終わりだ」、多くの師匠が言っておられました。ほんとにその通りで、振り返ってみると、その時の実力は出せても、納得いく舞台は今までに一度もありません。舞台で録った音やビデオを見るたびに反省点が必ず出てきます。それが面白さでもあるのかもしれません。終わりはないですね。

山口ひろし
やまぐちひろし●1975年茨城県生まれ。
- 津軽三味線奏者
- 4歳から唄、太鼓、津軽三味線を始める。
- 小学生より数々の大会で優勝を果たす。
- 1991年ニューヨーク リンカーンセンターでの『日本祭』に父であり師匠である山口孝次氏と出演。
- その後、南部三味線、長唄三味線を習得し、音楽の幅を広めながら数々の講演会や演奏会に出演。
- 2001年東京芸術大学 大学院 音楽研究科 邦楽専攻 修了。
- 2002年から、津軽三味線+笛+和太鼓による4人組ユニット『Shake CHA-z(シェイクチャーズ)』メンバーとして国内、海外ツアー等に参加。邦楽界のみならず、さまざまな分野のアーティストと共演、幅広い活動を行っている。
- 初のニュージーランドの印象は、「人が親切で陽気、コーヒーが美味い!」。
- 公式サイト:
- hiroshi.uan.jp