日本で不況だった大工の仕事を辞めてワーホリへ。ニュージーランドへ来る前に滞在していた、オーストラリアでの建設現場の仕事を始めるまでのエピソードを紹介します。
大工を辞めて、ワーホリ渡航前にレストランで働く
海外へ行くことを決意してから、まず必要だったのはワーホリ資金を貯めること。
当時はスマホさえ持っていないし、今のようにSNSやYouTubeでワーホリの情報を得ることができなかった時代。ネットで調べると、ワーホリの仕事情報はファームや日本食レストランばかりだったので、料理の経験があるといいのかなと思い、レストランの厨房で働きました。
当時は、大工として海外移住ができるなんて全く思っていないし、海外で建築をするなんて全く頭にありませんでした。日本から大工道具を持っていくとか、海外で道具を買うなどといったことも、これっぽっちも考えませんでした。
そしてオーストラリアへ。中華系コミュニティに助けられる
京都のユースホステルで働いていた時に、シンガポール系オーストラリア人と仲良くなりました。その縁で、ワーホリの行き先は「ダーウィン」に決定。オーストラリアのいちばん上にあり、熱帯気候でとても暑くクロコダイルが有名な場所です。しばらくはダーウィンにあるそのファミリーのお宅にホームステイをさせてもらい、とてもお世話になりました。
家を探すときには、そのファミリーが知り合いの中国人の大家さんを紹介してくれ、そしてその大家さんが、友人や親戚がやっている仕事を紹介してくれました。
ダーウィンは、オーストラリアの中でもアジアに近い場所です。日本人はほぼいませんでしたが、シンガポール、マレーシア、中国、フィリピンなど、家族や親戚どうしまるごと移住してきている人たちも多く、アジア人だらけ。日本人の社会にはないような、アジア人たちのコミュニティの横のつながりと結束力の強さには驚きました。みんなとても親切で、この中華系コミュニティーにはとても助けられました。
仕事がなかなか始まらず資金が底をつく
ワーホリでの初めての仕事は、ガーデニング。住宅地を回って庭の手入れや掃除をしました。ただし、あくまでもちょっとしたお手伝いのバイトだったので、フルタイムの仕事を探していたところ、大家さんが「家の近くのアパート建設現場、オレの親戚がやってるんだけどそこで作業員を募集しているぞ。やるかい?」と仕事を紹介してくれました。
もともと少ない所持金でオーストラリアへ来ているので、仕事が無いのは死活問題。すぐにヘルメットや靴など、仕事に必要な物を準備しました。
仕事が決まってよかったと思っていたのもつかの間、行き違いがあったのか、人事のスタッフが適当すぎたのか、なかなか仕事が始まらない時期が続きました。ようやく「明日来て」と言われたので向かったら、「え!?今日は仕事ないぞ」と現場で言われて帰らされた日も。
ついに仕事がスタートしても、実際に給料が入るのは2週間先。家賃を払うための資金が底をついてしまいました。たしか、もらった魚を食べたり、$1の安い食パンを食べてお腹を満たしていました。
若かったし結果的にどうにかはなりましたが、異国でギリギリの綱渡り状態を楽しめる人でないかぎりは、しっかりと貯金しておくことをおすすめします(笑)
第3回のコラムへ続きます。
高卒から大工としてニュージーランド永住権を取得した関西人。オーストラリアでも建築現場を経験。ニュージーランドでは見習いから始め、大工の国家資格を取得。高級注文住宅を建てている。SNSやYouTubeで発信中
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